まゆのあいだ

2015年10月23日


 ――ああ、どうしてあのとき、じぶんはむりにでも、由美子を家の前まで送ってやらなかったのだろう。じぶんさえついていれば、こんな恐ろしいことは起こりはしなかったのだ。
 新聞には、あまりくわしいことは出ていないが、由美子はひどいけが[#「けが」に傍点]でもしたのではなかろうか。
 そう考えると、すべての責任がじぶんにあるような気がして心配でたまらない。そこで俊助は、すぐその足で由美子兄妹を見舞ってやることに決心した。
 吉祥寺まで電車を乗り越して、昨夜の森のなかをぬけてゆくと、小川の土手にさしかかった。
 と、そのとき、ふとみょうなものが俊助の目にとまった。土手の上一面に咲きみだれた秋草のあいだに、なにやら赤いものがちらついている。
「おや、なんだろう」
 俊助はおもわず身をかがめ、その赤いものをすくいあげたが、そのとたんかれはハッとしたように顔色を動かした。それは見おぼえのある由美子のマフラーであった。しかもまんなかから、もののみごとにプッツリとたち切られ、土足でふみにじったようにいっぱい泥がついているのである。
 俊助がその泥をはらい落としているとき、うしろのほうで、草をふむ足音が聞こえたので、ハッとしてふりかえると、ひとりの男が、木立のあいだに立って、じっとこちらをながめている。
 俊助はその男のようすを見ると、おもわず身がまえた。
 昨夜の男だ。昨夜国電のなかで、由美子をおびやかしたあの男なのである。
 男のほうでも、俊助の顔を見るとちょっとおどろいたようであったが、すぐにツカツカと木立のあいだから出てきた。
「きみ、きみ! きみが今ひろったものはなんだね」
 わりあいにおだやかな|声《こわ》|音《ね》なのである。
 俊助は答えないで、無言のまま、じっと相手の顔を見つめている。四十歳ぐらいの小男で、するどい目つきをしていたが、しかし人相は思ったほど|兇悪《きょうあく》ではなかった。
 せいかん[#「せいかん」に傍点]なにも、どこかゆったりしたところが見えるのだ。
「きみ、ちょっとそいつを見せたまえ」
 男はこうしじまのオーバーのあいだから、右手を出した。
「いやだ」
 俊助はマフラーをうしろにかくしながら、一步うしろにしりぞく。
「いいから、こちらへ出したまえ」
「いやだ。きみはなんの権利があってそんなことをいうのだ。きみはいったい何者だ」
「なんでもいい。出せといったら出さないか」
 男はしだいに俊助のほうへつめよってくる。俊助は一步一步しりぞいてゆく。ふたりはグルリと道の上で円をえがいて、こんどは俊助のほうが木立のそばへ追いつめられていった。
 そこにはがんじょうな鉄条網が張りつめられてあるので、しりぞこうにも、もうそれ以上しりぞくことができないのだ。
「きみ、きみ、出せといったらおとなしく出したまえ」
「いやだ!」


Posted by 比類がない at 12:00│Comments(0)
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